評価のあり方  2011年9月27日

 『学び合い』の考え方による授業づくりは,①授業の目標を設定する,②目標が全員達成できたかどうかを確認するために評価規準を設定する,の二つです。

 ①については、子ども達の立場で表現すれば、授業終了時に課題がどうなっていればよいのか、どの程度できていればよいのかというゴールをきちんと示してあげるということになります。このことがきちんとなされていないと、教師の求めているものと子ども達がゴールと考えているものが異なってしまうのですから悲劇が起きないとも限りません。

 これは大人の社会でも子どもの社会でも同様で、考えればよく分かると思いますが、上司や管理職が、教師が何をどこまで要求しているのかがよくわからないと疑心暗鬼の不幸な状態になるのではないかと思います。またこのことは、『学び合い』の授業に限ったことではありません。

 よく暖かい評価とか、冷たい評価ということも言われますが、単にことばが柔らかいとか冷たいという上辺のことを指している場合が一般的かも知れませんが、大事なことはどう言ったかでなく、どう子どもたちをとらえているのかに関わってであって、きついことを言った、あるいはきつい言い方をとしても、信頼関係で結ばれているのであれば励ましとなります。逆に、それが成り立っていない場合、どんなに緩い言い方をしたとしても、ほめことばにならず、信頼関係ができていないのですから成果や成長に結びつくはずがないかないのだと思います。

 

 課題設定の大切さが言われますが、勿論、それが評価規準と一体的なものとなっていなければならず、(1時間あるいはひとまとまりの)授業の終了時にはっきりと課題が到達できたのか、できなかったのかを示して、もし課題の達成が不十分であるなら、どうしたら達成に近づけるのかを問いかけることを忘れてはならないと考えます。

 

 基本的に、人間というものはだれでも誉められてこそ成長するのだと思いますが、信頼関係ができあがり、しかられて発憤できる様な人間関係が築き上げられないと本物にはならないのかもとか考えることもあります。いやこれは逆かも知れませんね。信頼関係ができあがっていれば、ちょっとやそっとのことではその関係が崩れないのでしょうね。